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氷川神社 ひかわじんじゃ 小川町

氷川神社
鎮座地 小川町上古寺566
電話番号 0493-72-5833(宮司宅)
祭神 健速須佐之男命、竒稲田姫命、大那牟遅命 (たけはやすさのおのみこと、くしいなだひめのみこと、おおなむちのみこと)
お祭り  創建は、斎明天皇5年(659)に、役小角が都幾山から望んだ景色を賞で、かつ霊感を得たので祠を建て、氷川神社(現在の武蔵一宮氷川神社)の分霊を勧請した。そして、自作の木彫りの神像を奉安し、当地の繁栄鎮護の祈念を行ったと伝える。  秋の例大祭に行われる因縁和(圓圓和とも)は、その発祥を鎌倉時代以前からとも、守邦親王が東王寺に寓していた時に比叡山に伝わる廷年舞を模して行ったとjも伝えられている。座列に加わるのは貝戸名にも残る古くからの家筋や本家筋の当主である。  18家の氏神は本殿上屋の一畏側から両脇にかげて社殿にはめ込みで神座を据えた中に、列次に従って祀られている。これを「御末社」と称している。  行事の次第は、例大祭の玉串奉奠の後、御末社に夕御饌の献膳を行う。夕御饌には青葉に盛りつけた赤飯と粢、洗米と塩が供えられる。この奉仕を行うのは当番組の中で両親が健在の男児二名である。白装束に身を包み、清めの祓を受けてから務める。  氏神への献膳が終わると、次に全国七十余州の一の宮の大神(北海道の札幌大神と琉球の波之上大神も含まれている)への奉献「中道回りの式」に移る。氏子一同は揃って本殿に拝礼を行ってから神社の外側へ左から歩を進め中道に入る。かつては長老を先頭に日像・月像の旗が漸行し、法螺貝を吹ぎ鳴らしながら進んだという。中道に入ると、まず先達が代々伝わる「因縁和式目」に従って大声で唱える。「山城国愛宕郡に神留座す加茂別雷の大神」に始まり、大神ごとに氏子一同が「えんえんわ」と集落中に響き渡るような大声で後に続けて唱和し、献散(散供)の者が、萱の箸で赤飯と粢を空高く投げ上げて大神に奉献する。一周して、最後に大鳥居の所で当社氷川大神の唱和をして終了する。式目の最後に「大日本七十余州に鎮座す国々一の宮其外従給ふ大小宮社総じて千五百萬の神々の尊き霊を慎み敬ひ奉る当に降臨有て神慮を祈所願所は祈願円満感応成就守幸給へと恐み恐み申す」と唱和の締め詞があり、国々を代表する一の宮の承ならず、全国のすべての神々への尊崇と祈願成就に対する感謝の神事であることがわかる。  御末社の献膳は、各家の氏神に対する秋の五穀成就を感謝する行事である。以前は、各姓の代表者が座順に従って着座する座例が定まっており、宮座組織に近いのが特徴である。

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