氷川神社 ひかわじんじゃ 公式ホームページ さいたま市大宮区
鎮座地 | さいたま市大宮区高鼻町1-407 |
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内容 | 神職が常駐 御朱印あり 駐車場 お祓い・ご祈祷 自動車のお祓い 神前結婚式 出張祭典可 神道式の葬儀 お水取り お砂取り 花・植物が見どころ ホームページあり |
電話番号 | 048-641-0137 |
祭神 | 須佐之男命、稲田姫命、大己貴命 (すさのおのみこと、いなだひめのみこと、おおなむちのみこと) |
神徳 | 家内安全、商売繁昌、厄除、交通安全 |
お祭り | 1月1日 歳旦祭、2月節分日 節分祭、2月7日 的神事、2月17日 祈年祭、3月15日 郷神楽、4月5・6・7日 鎮花祭、5月9日 御鎮座祭、5月21日 道饗祭、6月5日 粽神事、6月30日 大祓式、8月1日 例大祭、8月2日 神幸祭、10月9日 抜穂神事、10月21日 朔瓶祭、11月23日 新嘗祭、12月10日 大湯祭、12月11日 誓詔祭、 |
氷川神社は社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられます。御祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三柱の神で大己貴命は須佐之男命の御子に坐して国土を天照大神の御孫瓊瓊杵命に御譲りになられた国土経営の神であります。稲田姫命は須佐之男命の御妃で大己貴命の御母神であります。この御三神をここにお祀りされたのは国土経営民福安昌祈願の為であって大和朝廷の威光が漸次東方に及ぶにつれて、当神社の地位が益々重くなったのでありましょう。地勢上から見ても氷川神社は見沼をひかえ東西南北に展開し交通の便もよく土地も肥沃で民族は弥々繁栄し今日の基をなすに至ったものと思われます。 第十二代景行天皇の御代日本武尊は当神社に御参拝東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き格式高く、又今から凡そ千二百年前の聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定せられた延喜式神名帳には名神大社として月次新嘗案上の官幣に預り、又臨時祭にも奉幣に預る等歴朝の崇敬殊の外厚く、又武家時代になっては鎌倉、足利、北条、徳川氏等相継いで尊仰し祭祀は厳重に行われておりました。 明治の御代に至っては明治元年明治天皇は都を東京に遷され、当社を武蔵国の鎮守勅祭の社と御定めになり左の勅書を賜わったのであります。 勅ス、神祇ヲ崇メ、祭祀ヲ重ンズルハ、皇国ノ大典ニシテ政教ノ基本ナリ。然ルニ中世以降、政道漸ク衰エテ、祀典挙ラズ。遂ニ綱紀ノ不振ヲ馴致セリ。朕深ク之ヲ慨ク。方今更始ノ秋、新ニ東京ヲ置キ、親臨シテ政ヲ視将ニ先ズ祀典ヲ興シ、綱紀ヲ張リ、以テ祭政一致ノ道ヲ復サントス。乃チ武蔵国大宮駅氷川神社ヲ以テ当国ノ鎮守ト為シ、親幸シテ之ヲ祭ル。自今以後歳ゴトニ奉幣使ヲ遣シ以テ永例ト為サン。 次で同年十月二十八日明治天皇当神社に行幸、御親ら祭儀を執り行わせられ更に三年十一月一日再び御親祭あらせられました。この時の御行列は非常に荘厳で京都からの御遷都と同様の御盛儀であったといわれます。此の様に明治天皇が御親祭あらせられたのは桓武天皇平安遷都の折賀茂社をお祀りした御例によられたものといわれ、その模様を謹写した山田衛居筆の氷川神社行幸絵巻物は今も当社の社宝として大切に保存されて居ります。次で明治四年五月十四日官幣大社に列せられました。
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