北向神社 きたむきじんじゃ 美里町
鎮座地 | 美里町小茂田5 |
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内容 | 神職が常駐 御朱印あり 駐車場 お祓い・ご祈祷 神道式の葬儀 |
電話番号 | 0495-76-3238(宮司宅) |
祭神 | 須佐之男命、大己貴命、少彦名命 (すさのおのみこと、おおなむちのみこと、すくなひこなのみこと) |
お祭り | 4月4日 |
由緒:北向神社は、桓武天皇の時代である延歴二十年(八〇一年)に、征夷大将軍坂上田村麻呂が、蝦夷平定のために東北地方に出陣した折り、当地を訪れてお祭りしたといわれています。
当時、近くを流れる身馴川(小山川)には、人々を苦しめる大蛇が棲みついており、坂上田村麻呂は上野国(群馬県)赤城山の神霊である赤城大明神の霊威をいただき、みごと大蛇を退治することができたという伝説が伝えられています。
坂上田村麻呂は小茂田をはじめ五か所に、赤城大明神の神霊を、赤城山に向かって北向きにまつったため、北向大明神とか北向神社と称されるようになったといいます。
北向神社は、邪気を祓い、人々の幸福を願う節分祭行事が有名ですが、古くから厄除開運をはじめ、五穀豊穣や勝利祈願、安全祈願にも霊験あらたと言い伝えられています。
また、鎮守の森を守り、自然環境を大切にする社としてもおまつりされています。
「三本の欅伝説」:境内にはたくさんの欅があり、その中でも「三本の欅」は特別です。昭和十九年(一九四四)、太平洋戦争が激しくなった時代、徴兵検査を合格して出兵することが決まった三人の青年達は、無事に故郷に帰還できることを祈って欅の苗木を三本植えました。三人は、激しい戦いが続く中国大陸の満州などに出兵させられたといいます。太平洋戦争は激しさを増し、多くの人々が犠牲になりました。昭和二十年(一九四五)八月、日本は戦争に負けて終戦を迎えましたが、生還を願って欅を植えた三人の青年は、戦火を潜りながらも、無事に故郷に帰ることができました。以来、この三本の欅は、安全祈願の象徴として、旅行や旅立ちなどに御利益があるといわれるようになりました。
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