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諏訪神社 すわじんじゃ 長瀞町

諏訪神社
鎮座地 長瀞町野上下郷467
電話番号 0494-66-0042 寳登山神社
祭神 建御名方神 (たけみなかたのかみ)
お祭り 春祭り(3月17日に近い日曜日)、秋祭り(10月17日に近い日曜日) ◇末社 天手長男神社御祭日 ・本社秋祭りに従う(本来は10月19日)火防の神社で、この日より防火の願いを込めた、柄杓が家並みを一巡する。

当地は、荒川が北流して秩父盆地を抜ける手前の左岸に南面する扇状地で地名を小坂と称し、当社はその坂上に鎮座する。

  国道140号から町道に入ると国指定重要文化財「野上下郷石塔婆」が日本一(高さ5.37幅1.2厚さ0.12㍍)の威容を誇る。

  大和国阿仁和庄の住人阿仁和兵助橘基保は、観音のお告げによりその地を離れ当地の小坂に仲山城を構え上州金山新田氏に仕えたという。基保は仲山城大手門筋に信州一宮諏訪大明神を勧請した。基保の子兵衛直家は元弘元年(1331)府中六所宮の娘をめとるも父基保が建武2年(1335)に歿し、直家が城主になったが、那賀郡秋山城(現本庄市)の腰元に懸想したため秋山氏と不仲となり遂に延文2年(1357)2月21日討ち死にした。これより先奥方は弥陀の御告げにて難を逃れ、縁ある能登の時国家へと落ちて行った。その後直家十三回忌に当たる応安2年(1369)10月比久尼となった奥方と諸衆35人がこの地を訪れ「野上下郷石塔婆」となる供養塔を建立したと「信仰利生鏡」に伝う。

  その後、鉢形北条氏が厚く信仰し、神域も拡張され小坂の鎮守となった。現社殿は弘化元年(1844)別当西光寺住僧が発願し広く浄財を勧化、再建された社殿、本殿はじめ拝殿には彫物がよく施され、拝殿の欄間彫刻には二十四孝のうち6面の彫刻が優れている。

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